震災について

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もう13年、まだ13年・・・。 「風と潮の神話」150号  岩手県陸前高田市

震災と私

風と潮の神話(岩手県陸前高田市) 3月10日から始まった私の個展は、親しい人たちや新しいファンの方々に囲まれながら、 このうえない良い雰囲気で始まりました。2日目の会場でも古くからの知り合いと思い出話で盛り上がり、私は、 描いてみたいテーマや試したい技法のことなどを考えたりしていました。 大地震がおきたのはそんなときでした。 生まれてこのかた経験したことのない突然の激しい揺れと音・・・。 後先を考える暇もなく、5階から階段を必死で駆け下り、近くにいた家族の無事を確認しました。 直後からの停電、道路まで揺れるおそろしさとともに、未来への不安が押し寄せ、そして三陸の沿岸にいる たくさんの知人、懐かしい海辺の風景のことが脳裏をよぎりました。 大抵の知人の無事が確認できたものの、不自由な暮らしと精神的な辛さは、想像することすら憚られるほどのものでした。 何人かの知人や友人、そして陸前高田のホテルに長い間架けられていた次女の絵姿、「風と潮の神話」の消息がとても気がかりでした。 ここで考えているよりは、と4トンと2トン半トラック2台、さらに7人乗りのワゴン車で海岸へと向かい、心せくままに海岸にたどり着きました。 しかし、道路も家も手掛かりになるものは何も見当たらず、遥か先までが見知らぬ風景になっていたのでした。 しばらくして偶然に通りかかった軽トラックを止め、方向を聞き出しました。再び走り始めると見覚えのある看板や標識にようやく出会い、いくつかの 場所を尋ねあてることができました。しかし、その無惨さと虚しさは、帰途についても決して薄まることはありませんでした。 その虚しさを埋めるために、もう一度、「風と潮の神話」を描こう、と私は決意しました。歩みだした父を支えた亜希子のために、さまざまな思い出を失い、 流し、泥からの再生を果たしつつある人々のために、そして何よりも、失うことの意味と悲しみを、今更に抱えて歩き始めた私自身のために・・・・。 藤井勉

2月末に母が逝って、間もない3月11日、途方もない地震に見舞われた盛岡は、その日を境にそれまでののどかさを失って、不安と恐怖の街になってしまった。
沿岸の知人だれとも連絡がとれず、ガソリンが無くなって車も殆んど動かない。
直接の被災地でない盛岡でもあらゆる物資が消えてしまった。

幸い我が家の車2台は、除雪用にストックしていた軽油で動いてくれたので、毎日市内を回って米や野菜、魚などの食料、灯油の切れた家庭には灯油を配って歩くことになった。

そのうち沿岸の様子が聞こえて来て、がまんできず、家族4人とトラック1台とで、友人知人の安否をたずねて宮古市に向かった。
市内の知人は被害も比較的少なく皆無事で、トラック1台の荷物を市の方に届け、体勢を整え、3日後に陸前高田市、大船渡市に向かった。ここはもう目をおおうばかりの惨状で、誰もが言葉を失った。

陸前高田市の観光ホテルに開業当時納めていた私の作品「風と潮の神話」も流されて行方も知れない。
その日の昼まで、にぎやかだったに違いない街角、人々の暮らしのそのすべてが今は無い。
飲料水は配置されるのを待つしかなく、暖房も思うにまかせない避難所の生活はどんなに辛い事かと胸に痛む。

そのうち多くの友人、知人からの心配の便りがあって、その状況をお伝えした所、たくさんのお見舞いの品を送っていただいた。
自分たちで用意した食品、衣類、電池などと合わせて連日ヤマト便で送り続け40日となった。
ほんの少しの手伝いでしかないけれど、まだまだ続けることによってしか、子供達の幼い頃遊んだ海。

そこで見た風景、優しかった人々に報いる事はできない。
陸前高田にはガレキの傍に梅や椿が咲いていた。今頃は桜の盛りだと思う。
小学校も通学できるところから少しずつ始まり、前向きに復興に取り組む人々との小さな約束を果たすため、また会いにいく。(洋画家)

今回の展示は、東北地方太平洋沖地震をテーマに日本人作家18人で展示をしました。
作品は、平面作品から立体作品・インスタレーションまで様々な作品が展示され大盛況にて終了しました。

  • 展示場所・・ ワシントンDC、PEPCO Edison Place Gallery
  • 展示期間・・ 2012年2月16日~3月25日

「展示クロージング風景」

「Biotop 東北の春、F50」

「作品1」

「作品2」

「ワシントン展示2012」

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