もう13年、まだ13年・・・。 「風と潮の神話」150号 岩手県陸前高田市
2月末に母が逝って、間もない3月11日、途方もない地震に見舞われた盛岡は、その日を境にそれまでののどかさを失って、不安と恐怖の街になってしまった。
沿岸の知人だれとも連絡がとれず、ガソリンが無くなって車も殆んど動かない。
直接の被災地でない盛岡でもあらゆる物資が消えてしまった。
幸い我が家の車2台は、除雪用にストックしていた軽油で動いてくれたので、毎日市内を回って米や野菜、魚などの食料、灯油の切れた家庭には灯油を配って歩くことになった。
そのうち沿岸の様子が聞こえて来て、がまんできず、家族4人とトラック1台とで、友人知人の安否をたずねて宮古市に向かった。
市内の知人は被害も比較的少なく皆無事で、トラック1台の荷物を市の方に届け、体勢を整え、3日後に陸前高田市、大船渡市に向かった。ここはもう目をおおうばかりの惨状で、誰もが言葉を失った。
陸前高田市の観光ホテルに開業当時納めていた私の作品「風と潮の神話」も流されて行方も知れない。
その日の昼まで、にぎやかだったに違いない街角、人々の暮らしのそのすべてが今は無い。
飲料水は配置されるのを待つしかなく、暖房も思うにまかせない避難所の生活はどんなに辛い事かと胸に痛む。
そのうち多くの友人、知人からの心配の便りがあって、その状況をお伝えした所、たくさんのお見舞いの品を送っていただいた。
自分たちで用意した食品、衣類、電池などと合わせて連日ヤマト便で送り続け40日となった。
ほんの少しの手伝いでしかないけれど、まだまだ続けることによってしか、子供達の幼い頃遊んだ海。
そこで見た風景、優しかった人々に報いる事はできない。
陸前高田にはガレキの傍に梅や椿が咲いていた。今頃は桜の盛りだと思う。
小学校も通学できるところから少しずつ始まり、前向きに復興に取り組む人々との小さな約束を果たすため、また会いにいく。(洋画家)
今回の展示は、東北地方太平洋沖地震をテーマに日本人作家18人で展示をしました。
作品は、平面作品から立体作品・インスタレーションまで様々な作品が展示され大盛況にて終了しました。